饗宴(シンポシオン)の復権……オーケストラ・シンポシオン演奏会
《青年モーツァルト・パリへの旅路》

指揮:諸岡範澄

●2001年6月1日 青梅市民会館ホール(東京)

  
 最近では、古楽器を用いたモーツァルト演奏もだいぶ市民権を得てきたようで、ひところあったような、あからさまな否定的言辞も殆ど目にしなくなった。そんな事実と表裏の関係にあるように、演奏者の側もまた、肩肘を張ることなく、モーツァルトを奏でるという体験を、自ら楽しんでいると思わせる演奏が多くなったのにはほっとさせられる。振り返れば、十数年前、指揮者にして音楽学者のホグウッドが、やはり18世紀音楽の碩学であるザスロウと組んで録音したモーツァルトの交響曲全集を手にしたときの衝撃は、他に例えようがなく、まさに手に汗にぎるというか、それまで経験したことのなかったモーツァルトの地平に、ただ瞠目し、ハラハラしながらの緊張を以て臨む音楽的体験であった。それはもちろん素晴らしい出来ばえで、モーツァルト受容史に名を残す偉業であることに異論はないのだが、いっぽう、もっと現代人の感性に、無条件に理屈ぬきで合致する、いわば等身大のモーツァルト演奏はないものか、というのが、ささやかな私の望みではあったのである。
 爾来、十数年、漸く安心して自らの心身をあずけることのできるモーツァルト演奏に出会えた、それが、諸岡範澄ひきいるオーケストラ・シンポシオンを聴いての第一印象であった。シンポシオンの演奏を前に下手な小理屈はいらない、それが率直な感想である。
 思えば、18世紀における音楽、なかんずく宮廷におけるそれは、決して堅苦しい鑑賞・批評の対象ではなく、もっと Intimate な、生活に密着した、のびのびとしたものであったはずで、そうした意味においては、シンポシオンが登場して、やっと私たち聴衆は、楽器や演奏解釈の部分だけでなく、受容体験としての18世紀音楽の復元、すなわち饗宴の復権に与ることができたのではないかと考えるのである。
 しかも、その過程において、私たち聴衆は何らの努力も犠牲も払ってはいない。ひとえに、諸岡範澄の音楽性の恩恵をこうむっているばかりである。そのことを知るとき、唐突だが、わたしはかのマンロウの謎の自殺について思いを馳せてしまうのだ。なにやら辛気くさい話になって恐縮だが、古楽器演奏の先覚者として活躍し、高まる人気の絶頂において突然自らの命を絶ったその理由については、所説あるようだが、「(マンロウは)古楽の再生の試みの中で…(略)…いわば生の型、現在から見れば異常と言ってよい幼児死亡率と相対的な生の短さ…(略)…からなる生の型そのものの再生にまで結びついたのではないか」(丹生谷貴志「もしも私の顔が青いなら」:青土社『現代思想』1990年12月臨時増刊号所収)という解釈が目にとまったのである。もちろん、筆者の丹生谷氏自身、荒唐無稽な、と断り書きを添えているのだが、実のところ、この一文は、音楽家が自らの芸術を追求していこうとするときに、想像を超えるじつにさまざまな葛藤や困難に遭遇するのだということを、はからずも伝える結果になっているのではないか、という気がするのだ。マンロウがそのなかで本当に死を選んだのだとすれば、それは神経症的なマンロウ自身の特質に依ったかも知れないが、それほどではなくても、誠実な音楽家はきっと同じような内的経験を持ちながら、音楽の再生のために自らを賭して日夜努力しているのであろうと、私としては考えるのである。そして、諸岡範澄その人もまた、そうした誠実な音楽家の一人であるということは、私がシンポシオンの演奏を通じて、饗宴の復権を実感したというその一事によって、責任をもって断言してよいと思っている。もし、そうでなければ、受容体験においても18世紀音楽の復元を享受しようと思うとき、私たちは逆に、電気もガスもない環境のなかで、伝染病と革命の恐怖に怯えながら生活しなければならないことになってしまうだろう。……
 
 閑話休題。演奏会の感想を書こうと稿を起こしながら、とんでもないことになってしまったようだ。紙数の尽きないうちに、今回の演奏会についてふれておこう。
 プログラムされた曲は、以下の通りである。( )内の数字は演奏順。


モーツァルト 交響曲第20番ニ長調K.133     (1)
モーツァルト 交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」 (4)
カンナビヒ  交響曲第63番ニ長調D.15      (2)
ルブラン   オーボエ協奏曲第1番ニ短調        (3)

 若きモーツァルトが、ザルツブルグを後にしてマンハイム宮廷を経、パリに至る、その音楽遍歴を周辺の音楽家を交えながら構成するコンセプトで、しかもニ長調のきらびやかな曲を3曲集めている。
 楽器編成は、曲によって異動があるが、フルート2、オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽合奏(ファゴット2が低音部に参加)という具合だ。
 まず、金管楽器群ののびの良さ、そのテクニックの確かさが特筆に値する。だいたい、どこかでちょっとくらい音程がはずれてしまうものだが、そんな失敗もなく、最後まで堂々としたもの。古楽の分野で女性の金管奏者というのも珍しい。(少なくとも私の知る限りでは)
 弦は、その名のとおりけれん味のない親密な響きがして好感が持てる。木管楽器群は、緩徐楽章での素朴な美しさがとくに秀逸で、理屈抜きにうっとりという感じ。ルブランで独奏を受け持った三宮正満のオーボエは、節どころをよくおさえた歌いで、この曲の、短調からあかるいフィナーレへ向かう構造をよく支えていた。
 解釈の面では、舞曲楽章のリズム感の良さが特色。それから、ときどきリズムを意図的に崩して、聴衆の注意をひきつけるところなど、なかなかニクい演出もあった。
 モーツァルトの20番では、諸岡範澄の作曲したティンパニ・パートが加えられていたが、これもまた自然体で堂に入ったもので、こちらのほうがオリジナルじゃないかしらん、と思わせるほど。
 さらに記しておきたいのは、指揮棒を持たずにオケをドライブする諸岡範澄のスタイルだ。棒を持たずに振るといえば、ブリュッヘンがそうである。棒がないおかげで、却って指揮者の情熱が楽団員によく伝わるのかもしれない。腕を縦横に動かしながら、身を捩り、頸を振り、身体全体を使って指揮するその姿を見ると、そのように思えてくる。なにより気取らぬカッコ良さがあっていいではないか。




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