密なる記号論の世界

国宝 醍醐寺展  山からおりた本尊

東京国立博物館(平成館)2001年4月3日〜5月13日
 



 京都の醍醐寺は、平安の貞観年間にあって、弘法大師空海の孫弟子、聖宝理源大師によって開山され、以後こんにちまで、日本における密教の教相(教理体系)と事相(実践体系)の本山としての役割を担ってきた。一般的に、真言密教の本山といえば、弘法大師が開いた高野山金剛峯寺が有名であるが、高野山がいわば民衆の信望を集める大衆の本山であり、また、御所に近い東寺(教王護国寺)がその加持・祈祷力によって鎮護国家的役割を担った、皇室の本山であったのに対して、醍醐寺は教事相の本山、すなわち僧侶が教えを修める修行のための本山であると言われている。それゆえ、修法のための法具たる仏画や仏像に、おのずと優れたものが多く集まったのも故無しとはしない。
 さて、今回の展覧会では、仏画、仏像のほか、経典、書、屏風絵など、じつに多くの国宝が出典され、わが国の密教文化の豊かさにあらためて瞠目せざるを得なかったのであるが、なんといっても興味深いのは、密にして深奥なさとりの世界を象徴する、数々の仏画や仏像である。
 仏画では、なかでもその迫力と奥深さにおいて特筆に値するのが、五大明王の図だろう。明王とは、煩悩と魔を破り、仏法に従わぬ剛強難化の衆生をさえ救うと言われているとともに、その力強いイメージにおいて、それぞれの尊格独自の方便としての現世利益(息災、増益、怨敵調伏など)をもたらすと信じられているほとけで、その姿は、火炎を背に極大慈悲のあらわれとも言える憤怒の相をあらわしている。「五大」とは、明王における不動、金剛夜叉、降三世、軍荼利、大威徳の五つの尊格で、それぞれが独立した図像になっているが、いずれも暗褐色の背景を背に、黄から朱までの色彩を巧妙に使い分けた火炎を配し、褐色系の肌を持って屹立(不動明王像は座像であるが)するその姿は、見るものからいっさいの言葉を奪うほどの強烈な印象を与える。明王像は、いずれもその手に、利剣、弓、輪宝、鈷杵などの法具を持ったかたちで描かれており、それがまた迫力を添える。ちょうどローマ・カトリック教会の聖人像におけるアトリビュートのようなもので、その持ち物や身につけるものによって、どの尊であるかが判るようになっているのだが、すべて、古代インドの武器が転じて、魔を砕破する象徴物として密教のなかに取り入れられた結果である。
 ところで、チベット密教における諸尊もそうだが、おどろおどろしい憤怒相と武器と火炎とが、ほとけの極大慈悲を意味する記号であるというのは、いったい論理的理性的思考のなかからはどうしても導くことのできない概念であるだろう。そこが、明王像がもっとも密教的な図像であると言われる所以である。密教では、言葉を以てほとけの真理(即ちさとり)を伝達することは出来ないとされている。真理は言葉を超えるものであり、そこに至るには、実践(祈り)に頼る以外に術はない。それが、まさに密とされる理由であって、至心に祈ることによってのみ、理性的な対立の彼方にある、慈悲と憤怒ないし武器や火炎に代表される激しさの一体性を感得することが出来るのである。そういう観点から、ふたたびこれらの明王像を眺めるとき、人智を超えた精神世界への入り口が、まさにそこに存在するのだという感慨に打たれるのは私だけではないだろう。
 多くの図像について述べる余裕はないが、明王像と打って変わって繊細なタッチをみせる、五秘密像(別名:五秘密曼荼羅)についてふれておく。中心に菩提(さとりを求めるの心)を表す金剛薩捶像を置き、その四辺に、欲、触、愛、慢の煩悩をあらわす四尊を配したこの図像は、全体が細部までわたって微妙な線描からなり、色彩的には淡色を基本にしながら、要所ごとに配される濃色とのバランス効果が抜群で、視覚的なまとまりにおいて著しい完成度を持っていると言えよう。その黒々とした頭髪が長く肩までかかる描き方も、通常の仏教美術には見られないもので、密教独特のものである。菩提心を象徴する金剛薩捶と、煩悩を象徴する四つの諸尊が、まるでひとつの親密な家族のように描かれる世界は、顕教のなかでは対立概念と理解される煩悩と菩提心が、本来は同体であるという真理(煩悩即菩提)を象徴する記号であろう。
 仏像は、その造形性において、図像ほどの激しさを宿してはいないが、反面、立体性の持つ制約が、逆に身体表現の均整や表情のリアリティを求めることで、はるかに洗練された印象を受けるものとなっている。それは、同じ五大明王像を、仏画と仏像とで見比べてみるとよく理解できる。五大明王の仏像は、座像である不動明王像をのぞいて、いずれも直線的でほっそりとした肢体で構成され、そのスマートな視覚効果が、却って諸尊の持つ内証の厳しさを醸しだす結果になっている。
 繊細さという点では、ふたつの如意輪観音座像がある。いずれも全体に金色を配し、後背から指の一本一本のしなやかさ、表情の穏やかさに至るまで、実に美しく、優雅だ。おそらく、平安貴族の趣味にもよく合致したものであったことだろう。通常、座像というと、結跏趺坐か半跏趺坐をとるが、右膝を立て、そこに右第一手を載せて頬にあてる思惟形のフォルムは、自然であるとともにゆったりとした印象を見るものに与える。
 いっぽう、薬師如来座像は、二等辺三角形のフォルムに納まる、安定感あるその重厚な全体の威容が圧倒的な存在感をもって迫る。ややめくれ上がった上唇に、そこはかとない艶かしさがただようのも面白い。(T.S)

  

トップページ  エッセイ  物語と小説