『めぐり逢う朝』のこと

Tous les matins du monde
 

   
 

 映画「めぐり逢う朝」は、フランスの作家パスカル・キニャールの小説を、アラン・コルノーが映画化したものです。



ヴィオール奏者ジョルディ・サヴァールによる、映画
「めぐり逢う朝」オリジナルサウンドトラック盤CD


ものがたり

 作品の時代背景は、17世紀のフランス。冒頭に登場するのは、ルイ14世に仕えた実在の宮廷音楽家、マラン・マレです。功成り名を遂げ、今や押しも押されもせぬ大作曲家となったマレが「私は偽善の徒、無価値な男に過ぎない」と語るのを聞き、弟子の楽士たちが驚きのため息を漏らします。マレは、鎧戸を閉めさせ、薄暗い部屋のなかで、弟子たちを前に、自らの師、これもまた実在した音楽家、サント・コロンブについて語り始めるのです。これが映画の幕開けで、作品は、マレによる、師サント・コロンブにまつわる追想というスタイルで展開してゆきます。
 サント・コロンブは、最愛の妻を亡くし、二人の娘と小間使いの女、そしてヴィオールを友として、パリ近郊の森の中の屋敷にひっそりと暮らしていました。すでにヴィオールの名匠としての誉れ高く、その父から手ほどきを受けた娘たちもヴィオールを弾きこなし、その3人による合奏の素晴らしさは、王宮でも評判となっていました。
 ある日、サント・コロンブは、王ルイ14世の使者である宮廷楽長ケニェ、そしてマシュー神父の訪問を受けます。ケニェ一行は、彼を宮廷音楽家として招へいせよとの王命を携えていたのです。しかし、サント・コロンブは音楽が権威におもねることを潔しとせず、「この美しい自然の森が私にとっての宮廷だ」と言ってケニェらを追い返してしまいます。
 そうした状況のもとへ、弟子入りを志願してやってきたのが、若き日、17歳のマラン・マレでした。マレは、パリの貧しい靴職人の子として生まれ、教会の聖歌隊で音楽教育を受けた後、変声期を迎えていったんは実家に帰りますが、稼業に馴染めず、ヴィオール奏者となることを志して、当時、既にこの楽器の名手であった、サント・コロンブのもとを訪れたのです。
 マレはヴィオールの演奏技術の確かさを認められ、なんとかサント・コロンブの弟子となることが叶いますが、二人の間には、埋めがたい志向の違いがありました。孤独とともに、ひたすら純粋に音楽の世界に沈潜し、己の音楽の完成と、亡き愛する妻の面影のためにのみ曲を作り、ヴィオールを演奏し続けたサント・コロンブに対して、マレは、音楽の世界で身を立て、音楽家として世俗的な成功を得ることを望んでいたのです。
 そんなマレが、ある日宮廷に呼ばれ、ルイ14世の御前でヴィオールを演奏したことを知ったサント・コロンブは激怒します。「恥を知れ。宮廷楽士など投げ銭をもらう橋の上の芸人と同じだ」と罵り、マレの楽器を叩きつけて壊し、マレを追い出してしまうのでした。
 憤慨してサント・コロンブの屋敷を後にするマレの後を追ってきたのが、サント・コロンブの二人の娘のうちの長女、マドレーヌでした。マドレーヌはこう言います。「私が父から受け継いだ演奏技法を教えてあげる」そして、二人はその場で唇を重ねます。マドレーは、いつしかマレを愛していたのです。
 マレは、師サント・コロンブから手ひどい仕打ちを受けながら、しかしその音楽には確かな感動を覚えていました。マレはマドレーヌの部屋にひそかに通い、彼女と情交を交わしながら、彼女を通じてサント・コロンブの演奏技法を盗みます。その音楽的な修練の成果が実り、やがてマレは宮廷音楽家の地位を手に入れます。ところが、ある雨の日、ひょんなことから、サント・コロンブの屋敷に出入りしていることを知られてしまい、マレはサント・コロンブから平手打ちを受けます。その様を目の当たりにしたマドレーヌが「やめて、彼を愛しているの」と叫ぶと、サント・コロンブは「娘と結婚したいのか」とマレの気持ちを確かめようとしますが、それに対してマレは「今はなんとも言えません」とはぐらかしてしまうのでした。
 マレは、すでに師の多くの演奏技術を、マドレーヌを通じて学んでいました。ある日、情交の後に彼はマドレーヌにこう言います。「もう終わりにしよう。別の世界で生きたくなった」マレは、マドレーヌから師の技法をすべて盗みとったと思ったとき、彼女を捨てたのでした。
 マドレーヌはマレの子を宿していましたが、死産でした。マレに捨てられたマドレーヌは、絶望のあまり重い病(原作小説では天然痘)に罹り、病床に伏してしまいます。いっぽうのマレは、ケニェの後任として宮廷オーケストラの常任指揮者となり、妻を娶り、音楽の世界での地位を確実なものとしていきました。
 ある日、病にやせ衰えたマドレーヌは、父サント・コロンブに、マレが自分のために作曲してくれた「夢見る人」を弾いてほしい、と頼みます。しかし、サント・コロンブには出来ません。その代わりに、彼は次女のトワネットを王宮に使わせました。マレを今一度屋敷に呼び寄せ、マドレーヌのために「夢見る人」を演奏させるためでした。オペラの練習で忙しいマレは、いったんはその依頼を断るものの、思い直してマドレーヌのもとを訪れます。
 衰弱し、見る影もなく痩せ衰えたかつての恋人の姿にマレは衝撃を受けます。マドレーヌは、マレに捨てられた自分がどれだけ苦しみ悩んだかを訴えますが、マレは返す言葉に窮し、それを冗談ではぐらかしてしまうのでした。
 マドレーヌの求めに応じて、マレは「夢見る人」を弾き聞かせます。やがて、二階の窓から、マレが馬車に乗って王宮へ帰るのを見送ったマドレーヌは、以前マレが贈り物としてくれた靴のリボンを解き、それをベッドの天蓋の金具にくくりつけ、首を吊って死んでしまいます。
 娘が死んでから、サント・コロンブは更に孤独と沈黙を託つようになっていきました。いっぽう、マレは師のすぐれた音楽が、老いた師の死とともに永遠にこの世から消え去り、忘れ去られることにいたたまれない思いを禁じえず、ある夜、意を決して馬を駆り、王宮から師の屋敷の練習小屋へと向かいます。サント・コロンブもまた、死者への哀惜が音楽の本質であると感じてはいたものの、音楽についての生あるものとの対話を魂の奥底では望んでいました。マレの突然の訪問を受けたサント・コロンブは、彼を小屋のなかに招き入れ、音楽の本質について、まるで禅の公案のような問答を交わします。二人の歩んだ音楽家としての道は正反対ではあったものの、マレの才能を信じていたサント・コロンブは、自らの楽譜をマレに託すことを決め、二人でサント・コロンブの曲集「哀悼の墓」のかの一曲「涙」を合奏します。
 こうして師の思い出を楽士たちに語り終えたマレのもとに、サント・コロンブの亡霊が現れて、こう言いました。「君に音楽を教えることができて幸せだった。どうか、娘が愛した『夢見る人』を弾いてほしい」
 マレはヴィオールをかまえ、「夢見る人」を弾き始めます。


3つの主題

 この作品には、3つの「愛」の形が並行して描かれます。
 ひとつは、マレと、サント・コロンブの娘であるマドレーヌとの恋愛です。マドレーヌは、マレへの愛ゆえに、父から習得したヴィオールの演奏技法のすべてを、そして自分のすべてを捧げました。その意地らしい愛情の表現は、見ていて苦しくなるほどです。では、マレは本当に、音楽のために彼女を利用しただけだったのでしょうか。マレのなかに、片鱗でも彼女への愛情はなかったのか。ストーリーを追う限りでは、そのようにも見て取れます。冒頭の「私は偽善の徒」という言葉は、マドレーヌに対する不実を後悔する述懐のように聞こえます。
 「夢見る人」を弾くために自分の病床にマレを呼んだのは、せめて人生の最後に、かつて自分を裏切った恋人ではあっても、片鱗だけでも真実の愛を見出したいというマドレーヌの切ない願いだったのでしょう。しかしマレは、そのやつれぶりに衝撃を受けるものの、「あなたの妻になりたかった」というマドレーヌを、冗談ではぐらかしてしまった。最後の最後まで愛に裏切られ、絶望のうちに自ら死を選ぶ、薄幸の女性の姿が胸を打ちます。
 もうひとつの愛は、サント・コロンブとその妻の愛です。サント・コロンブは、演奏旅行中に最愛の妻を亡くしました。最後を看取ることが叶わなかったのです。彼は悲しみに打ちひしがれ、世の全てから逃れるがごとく、屋敷の片隅に小屋を建て、楽器とともに籠もります。その小屋の中で、妻の死の悲しみは、作曲家に霊感を与え、彼女のためにいくつかのヴィオールの名曲を作らせました。ほかならぬマレを感動させた作品でした。
 小屋に隠遁するサント・コロンブは、あるときから妻の亡霊の訪問を受けるようになります。それが亡霊なのか、あるいはサント・コロンブの妻に対する愛惜が作り出した幻影なのか、作品の設定としてはどちらにも受け取れるようです。重要なのは、サント・コロンブと妻の亡霊との間に交わされる会話に、音楽についてのひとつの真実が語られていることでしょう。
 サント・コロンブは、妻に対して、なぜ死してなお自分のもとに来ることが出来るのか、と問いかけます。それに対して妻はこう答えます。私は風のようなものであると。風は死者をこの世に送り、音楽を死者の世界に届けることができる。……
 音楽もまた、風のように死者のもとに届く。ここには、原作者キニャールが、音楽の本質をどう捉えていたのかが表されています。音楽とは、本質的に常に死者のためのものであるという認識は、映画の後段、小屋のなかで年老いたサント・コロンブが宮廷作曲家になったマレとの間に交わす会話に繋がっていきます。さらには、映画の最後の場面で、亡霊となって現れたサント・コロンブが、マレにマドレーヌの好きだった「夢見る人」を弾いてくれるよう頼む場面にも現れていると言えるでしょう。(原作小説ではこの場面はないのですが)
 サント・コロンブは、自分の亡き妻に対する思いを「情熱」と語りました。マレがマドレーヌのもとに忍び込んでいたことがばれ、手ひどく叱責された後、サント・コロンブはマレとマドレーヌにこう語ったのです。「楽譜や技法など少しも重要ではない。大切なのは私を生かす情熱なのだ」と。静かで寡黙な隠棲生活を送るばかりの彼が「情熱」という言葉を発したことに、二人は驚きます。しかし、亡き妻への愛は、サント・コロンブにとって、彼自身を生かしめる情熱に他ならなかったのでしょう。それはまた、死者のためにヴィオールを奏し続ける、音楽家としての情熱でもあったのだと思います。
 3つ目の愛は、サント・コロンブとマレの師弟愛です。
 二人の音楽に対する姿勢は、まったく異なっていました。マレは、音楽を世俗の芸術と捉え、貴族社会や王室のなかで自分の音楽の価値を認めさせることを目標としました。いっぽう、サント・コロンブは世俗から目を背け、当時、フランスのカトリック教会のなかにあって、反権力的で異端的な流派と目されていたポール・ロワイヤル派の神秘主義の影響のもと、死者との会話という内向きな動機のために音楽を奏でました。それゆえ、二人の音楽家は互いに反目し、決別の後は決して和解することのないかのように見えました。しかし、マレは世間から隔絶し隠遁生活を送るサント・コロンブの死後、その素晴らしい作品が世に出されることなく、永遠に忘れ去られてしまうことに堪えられず、再び師のもとを訪ね、サント・コロンブもまた、自らの作品をマレに託します。それは、ほかならぬサント・コロンブ自身が、マレの音楽家としての、なかんずくヴィオール奏者としての才能を十分に認めていたからに他なりません。但し、サント・コロンブがマレに自らの作品を託すにあたり、サント・コロンブはマレに対して「最初のレッスン」をします。それは、ヴィオールの演奏技術に関するものではなく、対話によって「音楽の本質」に迫ろうとするものでした。この対話のなかで、音楽とは世俗の権力を飾り立てるものではないこと、音楽とは死者への慰めのためのものであり、人間の情感の発露そのものに他ならないことを、マレは師から教わったのです。それは、マレにとり、音楽家としての決定的な回心の瞬間だったともに、尊敬する師と本当に心を通わせることのできた瞬間であったとも言えるでしょう。
 冒頭の「私は偽善の徒、無価値な男に過ぎない」というマレの述懐は、この最後のマレの回心が、いかに壮絶なものであったかを物語るものだと思います。
 そうは言っても、実在のマレは、最後まで宮廷音楽家として活躍し、ルイ王朝に仕えながら、いくつものオペラや器楽曲を作曲し続けました。小説や映画の世界とは違っていたかもしれません。しかし、現在に遺されているこの師弟の音楽に耳を傾けると、そこには確かに、同じ価値観を共有した響きが感じられるように思えるのは、気のせいでしょうか。


楽器について


ジャン・マルク・ナティエ/ヴィオールを弾く王女アンリエットの肖像


 この作品のなかで重要な役割を果たしているヴィオールという楽器は、主に16世紀から18世紀にかけて使われた弦楽器で、英語ではヴァイオルといい、現代ではヴィオラ・ダ・ガンバというイタリア語の呼び名のほうがよく知られています。ヴィオラ・ダ・ガンバ、即ち「膝のヴィオラ」という名称からも分かるとおり、両膝の間に挟んで保持するのが一般的で、その演奏のスタイルや大きさ、音程などは、現代のチェロに通じるものがあり、事実、ヴィオールのために書かれた作品が、現代ではチェロによって演奏される場合もしばしばです。しかし、チェロがヴァイオリン族の楽器であるのに対し、ヴィオールはヴィオール族として成り立ちを異にし、形や音色も微妙に異なります。チェロが4弦なのに対し、ヴィオールは6弦ないし7弦で、チェロはフレットレスですが、ヴィオールにはギターのようなフレット(指押さえ)が付いています。響孔の形も、チェロはヴァイオリンと同じような「f」字型ですが、ヴィオールの多くは三日月型をしています。また、胴体が「なで肩」であるのも、ヴィオールの大きな特徴でしょう。さらに、糸巻きの上に、人間の頭部を象った彫刻が施されているものが多いのも特徴です。
 チェロは、現代のフル・オーケストラのなかでも自らの存在を堂々と主張し得る輝かしい音色と豊かな響きを持っていますが、ヴィオールの音はもっと華奢で小さく、素朴です。それゆえ、近代市民社会の成立とともに、音楽の演奏の場が貴族の館や市民のサロンから、大衆的なコンサートホールに移行してきたのに伴って忘れ去られた楽器となったのですが、それは、リュートやヴァージナルといった他の古楽器が辿った運命と同じでした。
 しかし、今世紀に入ってからのバロック音楽の再興、とりわ古楽器の復元とその演奏技法の研究の高まりにつれ、現代に甦りました。17世紀から「人の声にもっとも近い」と例えられてきたその音色は、他の楽器との合奏よりも、ヴィオールの独奏、またはヴィオール同士のコンソートで奏されたときにもっともその良さを発揮するように感じます。その意味で、この映画は、この雅な楽器の魅力を十分に楽しめる作品にもなっているのです。


 画家ボージャン


リュバン・ボージャン/巻菓子のある静物
(Wikipediaより)


 現在、パリのルーブル美術館に所蔵されている、画家リュバン・ボージャンによる作品『巻菓子のある静物』が、この作品のなかで役割を与えられています。屋敷の片隅に造らせたヴィオールの練習小屋のなかに、愛する妻の亡霊が現れるようになってから、その真偽を疑いながらも、妻への思いを形にするため、サント・コロンブが「友人の画家ボージャン」に描かせた画が、この『巻菓子のある静物』でした。つまり、ボージャンのこの画は、「めぐり逢う朝」のなかでは、サント・コロンブのヴィオールの練習小屋のなかの情景という設定になっているのです。
 では、ボージャンとサント・コロンブは本当に友人だったのでしょうか。ボージャンは記録に乏しい画家で、1612年生まれ。1632年ころから41年ころまでは、イタリアに留学し、その後パリに戻って、没年は1663年となっています。
 サント・コロンブは、ボージャン以上に記録が少なく、生まれは1630年代、亡くなったのは1700年ころと思われています。こうしてみると、ボージャンはサント・コロンブよりも20歳近く年長ということになりますので、実際のところ、友人ということではなかったでしょう。何より、作中に登場する『巻菓子のある静物』は、サント・コロンブが生まれた1630年代の初めに描かれたとされていますので、サント・コロンブがボージャンに『巻菓子のある静物』を依頼したというのは、原作者キニャールのフィクションだったと考えられます。なお、作品のなかでは、世俗の価値に超然としていたサント・コロンブに対して、ボージャンのほうは金銭に対する思い入れのある人物として対立的に描かれていますが、上記の事情からしても、ボージャンが金銭に執着する人物であったという証拠はどこにもありません。
 しかし、サント・コロンブといいボージャンといい、そこには確かに、音楽史や絵画史の大きなうねりからは外れながらも、静謐ではあるが確かな息吹を持って生き抜いた芸術家の姿があったという点で共通するものがあります。
 『巻菓子のある静物』は、バロック時代に発達した絵画技法のひとつであるキアロスクーロ(明暗対比)を使って、単純な構成のなかにも奥行きと存在感を示す作品となっていて、その背後になにかしら物語めいた印象を与えます。フィクションであったにせよ、この画をなんとか作品のなかに取り入れようとしたキニャールの気持ちが、私にはなんとなく分かるような気がします。


 ポール・ロワイヤル派

 作中では、サント・コロンブは、ポール・ロワイヤル派のシンパ(同調者)として描かれています。娘二人の家庭教師であったビュール氏もまたポール・ロワイヤル派の宣教師で、中盤、亡き妻の亡霊を伴って訪れる教会のミサも、ポール・ロワイヤル派のものでした。
 ポール・ロワイヤル派とは、当時ネーデルラントの司教であったコーネリウス・ジャンセンを理論的な指導者とする、カトリック教会内の一派で、その指導者の名前からジャンセニスムと呼ばれ、パスカルをはじめ、同時代の多くの知識人に影響を与えていました。また、活動の拠点を、パリ郊外のポール・ロワイヤル修道院に置いたことから、ポール・ロワイヤル派とも呼ばれるわけです。
 ポール・ロワイヤル派の人たちは、人間は罪深いゆえに自らの意思で善をなすことは困難であり、ただ神の恩寵にすがって救いを待つしかないと考えていました。従って、人間とは非力な存在であり、行動ではなくただ祈りだけが人間に許された自由であるとしたのです。
 その結果、ポール・ロワイヤル派は、人間の自由意志と行動を軽視するその消極的な教説により、ローマ教皇庁から批判されます。とくに、神の善意を実践するという旗印のもと、教皇の精鋭部隊という異名をとって、ヨーロッパのみならず、世界的規模で積極的かつ戦闘的な布教活動を展開したイエズス会と決定的な対立を生んでしまったのでした。ポール・ロワイヤル派の反権力的な姿勢はルイ14世の危機感をも煽り、結局、サント・コロンブの死後、1710年にポール・ロワイヤル修道院は強制的に閉鎖されてしまいます。
 作品のなかで、宮廷の貴族に対し、サント・コロンブ家の演奏会に参加することを王命で禁じるくだりがありますが、これは、サント・コロンブが宮廷に伺候することを拒否したことによる王の腹いせだけではなく、彼がポール・ロワイヤル派の同調者であったからだということになっています。
 実際にサント・コロンブがどれほどポール・ロワイヤル派に肩入れしていたかは明らかではありません。ただ、禁欲的で内向的なサント・コロンブの生き方は、ポール・ロワイヤル派の思想を彷彿とさせることだけは確かです。行動を忌み嫌い、ひたすら沈黙と内面に傾斜し、歴史の流れから外れた場所に身を置いたという点で、両者には共通する何かがあったのでしょう。


彩る楽曲

 この作品は、多くの音楽によって彩られています。
 当然のことながら、マレとサント・コロンブの楽曲が多くを占めますが、なかでも主題曲と言って差し支えないのが、マレが恋人マドレーヌのために書いたとされる『夢見る人』です。この曲は、病に冒された彼女がマレの愛を確かめようとして弾くことを求めますが、マレが自分を愛していなかったことを覚り、絶望して自ら死を選ぶ場面に流される曲です。その言い知れぬ哀感と旋律美で、聴く人に深い感動を呼び起こします。また、サント・コロンブの亡霊が、最後にマレに演奏を所望し、作品の最後に流れるのもこの曲でした。
 サント・コロンブの曲では、彼がマレと「和解」する場面で、ともにヴィオールで合奏した『涙』が印象的です。沈鬱な陰を宿すこの曲は、彼が妻をなくしたときにその悲しみのなかで作曲されたものですが、マレがサント・コロンブとの合奏という行為を通じて、人間の孤独と悲しみを共有していくという過程を伺わせます。その意味で、この曲は、この映画全体にとって、主題曲的な扱いである『夢見る人』以上に重要な役割を担っていると言えると思います。
 それ以外の作品では、リュリの『町人貴族』からの行進曲が、サント・コロンブが病に苦しむ娘マドレーヌのもとにマレを招聘する場面に効果的に使われています。この曲は、モリエールの喜劇の幕間劇用に作曲された音楽の一部ですが、本来は喜劇の幕間劇の音楽を、こうした悲劇仕立ての場面に活かすということで、人生の不条理を感じさせずにはおかない構成になっています。
 あるいは、サント・コロンブが妻の亡霊とともに、ポール・ロワイヤル修道院のミサに招かれた場面で流れる、フランソワ・クープランの『ルソン・ド・テネブル』の素晴らしさはどうでしょう。この世にこんなに美しい音楽があったのかと、筆者は瞠目しました。おそらく、女声二重唱のなかでもっとも感動的な作品であるといって過言はないでしょうか。
 そして、サント・コロンブが幼い娘二人に歌のレッスンを授ける場面で流される、作曲者不詳の『少女』といった美しいリュート伴奏付きの歌曲も忘れることはできません。


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 この映画(そして原作小説)の邦題は『めぐり逢う朝』ですが、原題”Tous les matins du monde"は「世界すべての朝」となります。これは、原作の小説のなかで、マドレーヌが自らの命を絶った後、第二十六章冒頭の言葉「世界のすべての朝は二度と戻ってはこない」から採られたものです。
 流れゆく時間と人生の瞬間。その唯一性と不可逆性。忘却の底に沈められてゆく小さな歴史。人々の生も、音楽も美も、そのほとんどはいつしか忘れ去られ、一般化され、存在していなかったも同然になってしまう。それは不条理ではなく、あまりにも当たり前の事実。サント・コロンブの音楽もまた、そのような運命を辿りました。かろうじて、後世の研究者や音楽家、文学者そして映画人のおかげで、彼の人生と作品が、今私たちがまみえる姿で伝えられたのです。その意味で、この作品(原作小説も含め)は、二度と戻らない世界のすべて朝の記憶から、かろうじて拾い遺された、作曲家サント・コロンブの墓碑銘であると言える気がします。

 

  
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